トラウマ

「トラウマ」とは誰にでもあるものである。

現に僕にも「トラウマ」というものはいくつも存在する。

・間接キス
間接キスは苦手だ。特に、男同士の。誰かが飲んだ後のジュースとか、口をつけて飲むのがいかんせんできん。
「滝飲み(飲料などを飲む際、口をつけずに大きく口を開けて少し高いところから滝のように口の中に水分を入れる飲み方)なんて言葉も流行ったが、あれでも少ししんどい。
さっき誰かがその飲料を飲んだ際、つば入ってるん違うんとか思ってしまう。
相手がガッキーとか、田中みな実とかやったら別なんだけど、男同士は誰であってもきつい。

これができなくなったのが中1。ある出来事がきっかけ。

当時僕は野球部に所属しており、二つ上の学年に「有馬さん」という先輩がいた。

この有馬さんは中学卒業後、岩手の超名門盛岡大附属高校に進学し、なんと「甲子園出場」を果たした先輩なのである。

間違いなく、自分が味方として野球をしてきた中で1番上手かったし、青山台中野球部の後輩としても「甲子園出場」というのはものすごく誇らしい。ただ、「コイツ」←失礼
のせいで、俺が仲間内で飲み物の回し飲み等をできなくなったのは間違いない。

事件は俺が中1、有馬さんが中3の時に起こった。

我が部では3年神様2年平民1年奴隷という図式が長年伝統として残っており、基本的に1年が3年と親しく話すことはほぼ皆無であった。

しかし、俺と有馬さんは「帰る方向が一緒」ただそれだけの理由で一緒に帰ることが多かった。

部では禁止されていた「買い食い」をたまに北千里のオアシスでやっていた。
本来なら1年が買い食いなどしようものなら3年にぶっ殺されるところだが、実力でも権力でも野球ではトップであった有馬さんと一緒ということもあり、当時まだ純粋な心を持つ俺だったが、あかんことをしているとおもいつつも、買い食いに便乗していた。

ある暑い夏の日、その日も練習を終え、有馬さんと帰路についていると、
「アイスくおか。」と有馬さんが言った。

いつもの如く、北千里のオアシスで買い食い。有馬さんが買ったのは「ビスケットサンド」というアイス。

俺が買ったのはカルピス味のパピコ

アイスを頬張りながら再び帰路に着く。

すると有馬さんが一言。
「それちょっとちょうだいや。俺のアイスもちょっとあげるから。」

と言った。
「いや、有馬さんのアイスもらうなんてそんな失礼なことできないッス。僕のだけ食べてください。」

と、アイスを有馬さんに差し出した。
神様の3年のアイスを1年の奴隷がもらうなんて、例え交換条件としたっていけないことだと自分でブレーキをかけた。なんて純粋。今だったら、

「あ?買えや殺すぞ」と言うだろう。

有馬さんは俺のカルピスのパピコを口に入れた。アイスをかじり、口から離した瞬間、

f:id:tabcd1234:20200521152304p:plain

ツバ糸がびよーーーん

と有馬さんとパピコを繋いだ。レインボーブリッジかと思った。

綺麗な(汚い)弧を描いてそのツバ糸は、有馬さんの元へと戻っていった。

f:id:tabcd1234:20200521152655p:plain

ガチで気持ち悪いとかいうそんな簡単な言葉で片付けられるほどの問題ではなかった。

わかる。わかるよ。そうなる理由は。
クソ暑いなか、部活やって口はカラカラ。
そこにあなたが食ってたビスケットサンドのバニラアイス。それ食うたら口の中が甘ったるくなって、唾に「伸縮性」が発生したんだよね。わかる。

わかるけど、多分あの時はお互い童貞だろうし←関係ない
あのツバ糸垂らされて、そのあと食えって平成の拷問ですやん。

そして有馬さんは「ありがと。気にせず俺のも食うてええよ」

と、何事もなかったことのように自らのアイス勧めてくるではないか。
うそだろ。鬼やん。

「有馬エキス」に浸透された自分のアイスでももう食べられへんなって思ってんのに、自らが買うてたバニラアイス勧めてくる!?
あんなツバ糸たらしといて!

有馬半端ないって!
あんなレインボーブリッジみたいなツバ糸たらしといて何事もなかったかのように自分のアイス食わす!?そんなんできひんやん普通!(大迫半端ないって風)

俺「いや、ほんまにいいです(震え声)」

有馬さん「食べろって!遠慮すんな!俺とお前の仲やんけ!先輩後輩ないって!」

もうゲイやんこいつ。
3年後甲子園でるか知らんけど、キモいって。グロいって。
この出来事から現に3年後この人が甲子園出たとき素直に応援出来へんかってんもん。爆笑


どんだけ断っても食わそうとしてくるから、
「では、少しだけ頂きます。ありがとうございます。」

と言う。あのビスケットサンドは、まるでバッタに見えた。バッタ食うような感覚。
ほんの少しかじった。

「うまいやろ!?」と有馬さん。

生産者お前か言うくらい食い気味に。

「うまいです。ありがとうございました。」

すると、俺体は限界を迎えた。

強烈な吐き気。気持ち悪さから一気に出てしまった。

「ヴォェェェェェェェェェェェ」

嘔吐である。いや、大嘔吐。弁当のおかずのミードボールがまだ胃の中で消化でききっておらず、それを見て「あ、ミートボールや。」って思ったのは昨日のことのように覚えてる。

すると有馬さんは
「おい!大丈夫か!?絶対熱中症や!」

と言った。この人が天然で心から良かったと思った。

まさか自分のツバ糸で後輩が嘔吐したなんて思っても見なかっただろう。

その後俺を心配した有馬さんは家まで俺を送ってくれた。
体調は全然大丈夫だったけど、熱中症のフリして体調悪いフリをした。
あの時の俺の演技力は小栗旬並みやったように思う。

団地の5階に住んでいたにも関わらず、有馬さんは5階まで上がってくれた。俺の体を支えながら。確信していた。有馬さんの手が触れるたびに気持ち悪くなっている自分自身に。

家をノックし、我が母親ユミがドアを開ける。

「いつもお世話になっております。青山台中3年有馬と申します。伊藤君が帰宅途中に嘔吐し、熱中症の疑いがあるので連れてまいりました。」

どんな教育受けてきたんやこの人。ツバ糸以外完璧やな。ツバ糸以外。

すると、我が母親ユミが「え!わざわざありがとうね。近くに住んでるの?家とおくないの!?」

と有馬さんに「タメ口」使った時にはほんまに殺そうか迷った笑

「すぐ近くです!気にしないでください!」

と、帰っていった。

「あの子男前やしええ子やなー。ええ先輩もったなーあんた。」





























いや、でもツバ糸グロいで。
とはよう言わんかった笑




トラウマ

「トラウマ」とは誰にでもあるものである。

現に僕にも「トラウマ」というものはいくつも存在する。

・間接キス
間接キスは苦手だ。特に、男同士の。誰かが飲んだ後のジュースとか、口をつけて飲むのがいかんせんできん。
「滝飲み(飲料などを飲む際、口をつけずに大きく口を開けて少し高いところから滝のように口の中に水分を入れる飲み方)なんて言葉も流行ったが、あれでも少ししんどい。
さっき誰かがその飲料を飲んだ際、つば入ってるん違うんとか思ってしまう。
相手がガッキーとか、田中みな実とかやったら別なんだけど、男同士は誰であってもきつい。

これができなくなったのが中1。ある出来事がきっかけ。

当時僕は野球部に所属しており、二つ上の学年に「有馬さん」という先輩がいた。

この有馬さんは中学卒業後、岩手の超名門盛岡大附属高校に進学し、なんと「甲子園出場」を果たした先輩なのである。

間違いなく、自分が味方として野球をしてきた中で1番上手かったし、青山台中野球部の後輩としても「甲子園出場」というのはものすごく誇らしい。ただ、「コイツ」←失礼
のせいで、俺が仲間内で飲み物の回し飲み等をできなくなったのは間違いない。

事件は俺が中1、有馬さんが中3の時に起こった。

我が部では3年神様2年平民1年奴隷という図式が長年伝統として残っており、基本的に1年が3年と親しく話すことはほぼ皆無であった。

しかし、俺と有馬さんは「帰る方向が一緒」ただそれだけの理由で一緒に帰ることが多かった。

部では禁止されていた「買い食い」をたまに北千里のオアシスでやっていた。
本来なら1年が買い食いなどしようものなら3年にぶっ殺されるところだが、実力でも権力でも野球ではトップであった有馬さんと一緒ということもあり、当時まだ純粋な心を持つ俺だったが、あかんことをしているとおもいつつも、買い食いに便乗していた。

ある暑い夏の日、その日も練習を終え、有馬さんと帰路についていると、
「アイスくおか。」と有馬さんが言った。

いつもの如く、北千里のオアシスで買い食い。有馬さんが買ったのは「ビスケットサンド」というアイス。

俺が買ったのはカルピス味のパピコ

アイスを頬張りながら再び帰路に着く。

すると有馬さんが一言。
「それちょっとちょうだいや。俺のアイスもちょっとあげるから。」

と言った。
「いや、有馬さんのアイスもらうなんてそんな失礼なことできないッス。僕のだけ食べてください。」

と、アイスを有馬さんに差し出した。
神様の3年のアイスを1年の奴隷がもらうなんて、例え交換条件としたっていけないことだと自分でブレーキをかけた。なんて純粋。今だったら、

「あ?買えや殺すぞ」と言うだろう。

有馬さんは俺のカルピスのパピコを口に入れた。アイスをかじり、口から離した瞬間、

f:id:tabcd1234:20200521152304p:plain

ツバ糸がびよーーーん

と有馬さんとパピコを繋いだ。レインボーブリッジかと思った。

綺麗な(汚い)弧を描いてそのツバ糸は、有馬さんの元へと戻っていった。

f:id:tabcd1234:20200521152655p:plain

ガチで気持ち悪いとかいうそんな簡単な言葉で片付けられるほどの問題ではなかった。

わかる。わかるよ。そうなる理由は。
クソ暑いなか、部活やって口はカラカラ。
そこにあなたが食ってたビスケットサンドのバニラアイス。それ食うたら口の中が甘ったるくなって、唾に「伸縮性」が発生したんだよね。わかる。

わかるけど、多分あの時はお互い童貞だろうし←関係ない
あのツバ糸垂らされて、そのあと食えって平成の拷問ですやん。

そして有馬さんは「ありがと。気にせず俺のも食うてええよ」

と、何事もなかったことのように自らのアイス勧めてくるではないか。
うそだろ。鬼やん。

「有馬エキス」に浸透された自分のアイスでももう食べられへんなって思ってんのに、自らが買うてたバニラアイス勧めてくる!?
あんなツバ糸たらしといて!

有馬半端ないって!
あんなレインボーブリッジみたいなツバ糸たらしといて何事もなかったかのように自分のアイス食わす!?そんなんできひんやん普通!(大迫半端ないって風)

俺「いや、ほんまにいいです(震え声)」

有馬さん「食べろって!遠慮すんな!俺とお前の仲やんけ!先輩後輩ないって!」

もうゲイやんこいつ。
3年後甲子園でるか知らんけど、キモいって。グロいって。
この出来事から現に3年後この人が甲子園出たとき素直に応援出来へんかってんもん。爆笑


どんだけ断っても食わそうとしてくるから、
「では、少しだけ頂きます。ありがとうございます。」

と言う。あのビスケットサンドは、まるでバッタに見えた。バッタ食うような感覚。
ほんの少しかじった。

「うまいやろ!?」と有馬さん。

生産者お前か言うくらい食い気味に。

「うまいです。ありがとうございました。」

すると、俺体は限界を迎えた。

強烈な吐き気。気持ち悪さから一気に出てしまった。

「ヴォェェェェェェェェェェェ」

嘔吐である。いや、大嘔吐。弁当のおかずのミードボールがまだ胃の中で消化でききっておらず、それを見て「あ、ミートボールや。」って思ったのは昨日のことのように覚えてる。

すると有馬さんは
「おい!大丈夫か!?絶対熱中症や!」

と言った。この人が天然で心から良かったと思った。

まさか自分のツバ糸で後輩が嘔吐したなんて思っても見なかっただろう。

その後俺を心配した有馬さんは家まで俺を送ってくれた。
体調は全然大丈夫だったけど、熱中症のフリして体調悪いフリをした。
あの時の俺の演技力は小栗旬並みやったように思う。

団地の5階に住んでいたにも関わらず、有馬さんは5階まで上がってくれた。俺の体を支えながら。確信していた。有馬さんの手が触れるたびに気持ち悪くなっている自分自身に。

家をノックし、我が母親ユミがドアを開ける。

「いつもお世話になっております。青山台中3年有馬と申します。伊藤君が帰宅途中に嘔吐し、熱中症の疑いがあるので連れてまいりました。」

どんな教育受けてきたんやこの人。ツバ糸以外完璧やな。ツバ糸以外。

すると、我が母親ユミが「え!わざわざありがとうね。近くに住んでるの?家とおくないの!?」

と有馬さんに「タメ口」使った時にはほんまに殺そうか迷った笑

「すぐ近くです!気にしないでください!」

と、帰っていった。

「あの子男前やしええ子やなー。ええ先輩もったなーあんた。」





























いや、でもツバ糸グロいで。
とはよう言わんかった笑




修学旅行は感性が狂う

今日はちょっと短めに。


学生最大のイベント「修学旅行」。


生徒は何日も前から楽しみにしている学生最大のイベントだ。


現に自分も高一の時、学校やめようかと思っている時期があったのだが、修学旅行だけは行ってからやめようと思い、なんとか卒業することができた。


修学旅行とは、自らの意思で行く旅行と違い、団体行動、普段仲良くない人間とも打ち解ける本当に良い行事だと思う。


行動は縛られるし、先生が一晩中部屋を回って監視したりしているが、逆にそれが楽しかったりする。


俺は小中高専門で修学旅行というものに4回、行ったが、必ずその4回に共通するものは、「感性がぶっ壊れる」ということ。


そして、修学旅行でハイになり、気になっている異性に告白したり、公衆の面前で歌を歌うなど、普段やらないようなことを「修学旅行」の力でできてしまう、不思議な行事である。


このブログの数少ない読者も思い当たる節があるのではないだろうか?


今でも覚えてる。多分あれは修学旅行ではなかったけど、中2の林間学校で滋賀に行った時に、キャンプファイヤーしながらHYの「AM11:00」をうちわを振りながら歌っていたあなたたち。笑


当時俺は「これなんの時間、、、?」って思ってた。ごめん。笑


でも、これは「感性がぶっ壊れる」とかじゃなくて、「ハイ」になって、歌ってみようとか、誰々に告白してみよう


ってなるわけで、本当に「感性がぶっ壊れる」というのはまた別次元の話。


この「感性がぶっ壊れていたな」と思った瞬間を紹介していきたい。


まずは高2で行った沖縄。

当時仲良くしていたクラスメイトの米澤という男がいたのだが、普段こいつは「門限が6時」だった。


嘘のような話であるが本当なのである。


本当に放課後遊んでても5時50分には帰ってた。高2で門限6時。は?男で。女でも、は?やけど。


毎日しっかり守ってた。まじで。


確かにお母さんは声ガラガラでデブで←失礼


しばかれたら痛そう。もちろんバイトも出来ず。みたいなやつがいてんけど、


結果から言うと、沖縄3泊4日の修学旅行で「一睡」もしなかった。


オール×4。化け物である。


普段門限6時の反動めちゃくちゃきてるやん笑


俺、人間の三大欲求に勝つはじめて見たわ。


「感性ぶっ壊れてる」やん!


帰り、JR尼崎から岸辺に降りなあかんかったらしいけど、さすがに限界きて気付いた頃には京都駅(終点)にいたらしい。


そしてそっからまた電車乗って起きたら尼崎にいたらしい。


めっちゃ笑った。作り話やったとしてもおもろいわ。


というか、俺は4日寝てない姿まじでこの目で見てたからさすがにほんまの話や思うけど。


中学では俺の感性が壊れた。


お土産を買う時間にあるTシャツをお土産屋さんで見つけた。


残念ながらそのTシャツは捨ててしまったっぽく、お見せすることができないのだが、


当時の記憶を辿って書いてみた。f:id:tabcd1234:20200501103926j:plain


かなり再現できてると思う。


これを見て「これ、、、ほしい!!!」


我ながらなんでかほんまにわからん。


沖縄という土地、修学旅行、楽しい、いろんな要素が重なって「感性がぶっ壊れた」のであろう。


ヤンバルクイナが好きなわけでもないし、どうしてもその時にTシャツが必要やったわけでもない。


そしてなにが1番やばいかと言うと、


俺は大阪に帰ってからも


こ れ を し ば ら く 着 続 け て い た 。


しばらく感性がぶっ壊れたままだった。


ある日「なにこのTシャツ…?ダサすぎるだろ…」となって着るのはやめたのだが。


あのTシャツは大阪で売ってても絶対買わないだろう。修学旅行でなんども言うが、「感性がぶっ壊れた」としか言いようがない。

俺の星の数ほどある黒歴史のなかの1つだ。


そして最後は小学校で行った広島。

俺はこの修学旅行ではじめて授業中に「寝た。」


小4の時に森ユキヒコが授業中に寝て、鬼神・斎田先生にどやされていた現場を見た時から絶対授業では寝ないと決めていたが、この修学旅行の授業では、はじめて寝てしまった。


「修学旅行で授業、、、?」と思う人もいるかもしれないが、修学旅行では「被爆体験をしたおばあちゃん」が、演説をしてくれるという授業があり、小一時間それを聞くと言うものだった。


「寝ていい授業」と「寝てはいけない」授業ってあると思うけど、これは間違いなく「寝てはいけない」授業である。


これはこれは貴重なお話である。


もう、広島に原爆が落ちた時を体験した人はこの世に何人いるだろうか?


書きたくてももう二度と聞けないような貴重な話をしている間、俺は爆睡。


もちろん、寝ようとしたのではなく無意識に落ちてしまった。これは間違いなく、修学旅行というものにテンションが上がりすぎてハイになり、新幹線での移動中等さぞかし騒いだのであろう。


それが急に座って話を聞くなんてなれば、子守唄にしか聞こえなくなるのである。


まぁこれは余談である。


この修学旅行で、ある出店を見つけた。


その出店は


「名前を掘った指輪」を500円で売っていた。


「誰がこんなん買うねん…ターゲット層何歳やねん…」と、思っていたが


同じ班の細原ダイチが食いついた。


「俺…これ買うわ!!」と。


なにに惹かれたん。と心底思ったが「あ…そう。」としかいえなかった笑


この指輪の売人に「名前は?」と聞かれ「ダイチです!」


と言う。すると「5分待ってね」と言われて待つ。


中学時の俺のヤンバルクイナTシャツと違い、この指輪に関しては、広島関係ない。笑


「なんでダイチはこんなものほしいんや…」と考える俺。数年後あのヤンバルクイナTシャツを買うことになるのだが。


そして指輪が出来上がった。


小学生の俺でもわかるくらいちゃっちい指輪に「daichi」と、掘ってあった。


今でも疑問なのがなぜ大文字ではなく小文字なん。


そしてしばらく修学旅行を楽しんでいるとダイチが「この指輪いらんわ。」と言い出した。


…でしょうねぇ!!!


「捨てるわ。」といった瞬間、俺の悪知恵が働いた。


武田か、巻尾に売ろうや!!!と。


我が小学校では「ダイチ」という下の名前のやつが細原以外にも2人いた。


どっちにする?となった時に、


巻尾はかわなさそうやから武田にしよってなった笑


そして武田大ちゃんに話をすると、いいね!買うわ!と即決。


なんで…?なんで買うん…?笑

まさか売れる思わんやん。笑


感性ぶっ壊れてるやん…






























しかも600円で売れた。100円儲けた。それで買ったもみじまんじゅう、ダイチと分けっこして食うたもみじまんじゅう、死ぬほどうまかったなぁ。いろんな意味で。

修学旅行は感性が狂う

今日はちょっと短めに。


学生最大のイベント「修学旅行」。


生徒は何日も前から楽しみにしている学生最大のイベントだ。


現に自分も高一の時、学校やめようかと思っている時期があったのだが、修学旅行だけは行ってからやめようと思い、なんとか卒業することができた。


修学旅行とは、自らの意思で行く旅行と違い、団体行動、普段仲良くない人間とも打ち解ける本当に良い行事だと思う。


行動は縛られるし、先生が一晩中部屋を回って監視したりしているが、逆にそれが楽しかったりする。


俺は小中高専門で修学旅行というものに4回、行ったが、必ずその4回に共通するものは、「感性がぶっ壊れる」ということ。


そして、修学旅行でハイになり、気になっている異性に告白したり、公衆の面前で歌を歌うなど、普段やらないようなことを「修学旅行」の力でできてしまう、不思議な行事である。


このブログの数少ない読者も思い当たる節があるのではないだろうか?


今でも覚えてる。多分あれは修学旅行ではなかったけど、中2の林間学校で滋賀に行った時に、キャンプファイヤーしながらHYの「AM11:00」をうちわを振りながら歌っていたあなたたち。笑


当時俺は「これなんの時間、、、?」って思ってた。ごめん。笑


でも、これは「感性がぶっ壊れる」とかじゃなくて、「ハイ」になって、歌ってみようとか、誰々に告白してみよう


ってなるわけで、本当に「感性がぶっ壊れる」というのはまた別次元の話。


この「感性がぶっ壊れていたな」と思った瞬間を紹介していきたい。


まずは高2で行った沖縄。

当時仲良くしていたクラスメイトの米澤という男がいたのだが、普段こいつは「門限が6時」だった。


嘘のような話であるが本当なのである。


本当に放課後遊んでても5時50分には帰ってた。高2で門限6時。は?男で。女でも、は?やけど。


毎日しっかり守ってた。まじで。


確かにお母さんは声ガラガラでデブで←失礼


しばかれたら痛そう。もちろんバイトも出来ず。みたいなやつがいてんけど、


結果から言うと、沖縄3泊4日の修学旅行で「一睡」もしなかった。


オール×4。化け物である。


普段門限6時の反動めちゃくちゃきてるやん笑


俺、人間の三大欲求に勝つはじめて見たわ。


「感性ぶっ壊れてる」やん!


帰り、JR尼崎から岸辺に降りなあかんかったらしいけど、さすがに限界きて気付いた頃には京都駅(終点)にいたらしい。


そしてそっからまた電車乗って起きたら尼崎にいたらしい。


めっちゃ笑った。作り話やったとしてもおもろいわ。


というか、俺は4日寝てない姿まじでこの目で見てたからさすがにほんまの話や思うけど。


中学では俺の感性が壊れた。


お土産を買う時間にあるTシャツをお土産屋さんで見つけた。


残念ながらそのTシャツは捨ててしまったっぽく、お見せすることができないのだが、


当時の記憶を辿って書いてみた。f:id:tabcd1234:20200501103926j:plain


かなり再現できてると思う。


これを見て「これ、、、ほしい!!!」


我ながらなんでかほんまにわからん。


沖縄という土地、修学旅行、楽しい、いろんな要素が重なって「感性がぶっ壊れた」のであろう。


ヤンバルクイナが好きなわけでもないし、どうしてもその時にTシャツが必要やったわけでもない。


そしてなにが1番やばいかと言うと、


俺は大阪に帰ってからも


こ れ を し ば ら く 着 続 け て い た 。


しばらく感性がぶっ壊れたままだった。


ある日「なにこのTシャツ…?ダサすぎるだろ…」となって着るのはやめたのだが。


あのTシャツは大阪で売ってても絶対買わないだろう。修学旅行でなんども言うが、「感性がぶっ壊れた」としか言いようがない。

俺の星の数ほどある黒歴史のなかの1つだ。


そして最後は小学校で行った広島。

俺はこの修学旅行ではじめて授業中に「寝た。」


小4の時に森ユキヒコが授業中に寝て、鬼神・斎田先生にどやされていた現場を見た時から絶対授業では寝ないと決めていたが、この修学旅行の授業では、はじめて寝てしまった。


「修学旅行で授業、、、?」と思う人もいるかもしれないが、修学旅行では「被爆体験をしたおばあちゃん」が、演説をしてくれるという授業があり、小一時間それを聞くと言うものだった。


「寝ていい授業」と「寝てはいけない」授業ってあると思うけど、これは間違いなく「寝てはいけない」授業である。


これはこれは貴重なお話である。


もう、広島に原爆が落ちた時を体験した人はこの世に何人いるだろうか?


書きたくてももう二度と聞けないような貴重な話をしている間、俺は爆睡。


もちろん、寝ようとしたのではなく無意識に落ちてしまった。これは間違いなく、修学旅行というものにテンションが上がりすぎてハイになり、新幹線での移動中等さぞかし騒いだのであろう。


それが急に座って話を聞くなんてなれば、子守唄にしか聞こえなくなるのである。


まぁこれは余談である。


この修学旅行で、ある出店を見つけた。


その出店は


「名前を掘った指輪」を500円で売っていた。


「誰がこんなん買うねん…ターゲット層何歳やねん…」と、思っていたが


同じ班の細原ダイチが食いついた。


「俺…これ買うわ!!」と。


なにに惹かれたん。と心底思ったが「あ…そう。」としかいえなかった笑


この指輪の売人に「名前は?」と聞かれ「ダイチです!」


と言う。すると「5分待ってね」と言われて待つ。


中学時の俺のヤンバルクイナTシャツと違い、この指輪に関しては、広島関係ない。笑


「なんでダイチはこんなものほしいんや…」と考える俺。数年後あのヤンバルクイナTシャツを買うことになるのだが。


そして指輪が出来上がった。


小学生の俺でもわかるくらいちゃっちい指輪に「daichi」と、掘ってあった。


今でも疑問なのがなぜ大文字ではなく小文字なん。


そしてしばらく修学旅行を楽しんでいるとダイチが「この指輪いらんわ。」と言い出した。


…でしょうねぇ!!!


「捨てるわ。」といった瞬間、俺の悪知恵が働いた。


武田か、巻尾に売ろうや!!!と。


我が小学校では「ダイチ」という下の名前のやつが細原以外にも2人いた。


どっちにする?となった時に、


巻尾はかわなさそうやから武田にしよってなった笑


そして武田大ちゃんに話をすると、いいね!買うわ!と即決。


なんで…?なんで買うん…?笑

まさか売れる思わんやん。笑


感性ぶっ壊れてるやん…






























しかも600円で売れた。100円儲けた。それで買ったもみじまんじゅう、ダイチと分けっこして食うたもみじまんじゅう、死ぬほどうまかったなぁ。いろんな意味で。

藤白台の悪童 渡辺涼との思い出

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久しぶりに渡辺涼(以下涼)のFacebook見たら、いつのまにかごりぽんが友達なっててばりわろた


涼絶対おもてるやん。「こいつ誰やねん」って。


だけど、「全然知らん女やけど、もしかしたらヤレるかもしれんな。申請許可しとこ。」

って感じで申請許可してる多分。


涼、実際のごりぽん見たらびびるで。女性ホルモンのかけらも見えへんから。←死んだほうがいいくらい失礼


この渡辺涼に関して、インスタに書いたところめちゃくちゃ反響が良かった。


同じ小学校の人はもちろん、涼を知らない高校の友達や後輩からも


「続編はまだか」という言葉を頂いている。

残念ながら連絡が途絶えてしまって、涼に会いたいと本気で思っていた気持ちから、インスタのウケが良すぎて、「インスタ投稿のために涼に会いたい」という気持ちに変わっていたのは満更嘘ではない。


何通かメッセージのやりとりをしているうちに「一方通行の愛」というものを強く感じた(俺が一方的に涼に対して愛を持ちすぎていた)し、その一方通行が段々確信になってくると同時にその愛はだんだん冷めていって、インスタを見てくれてる人を笑かす為に最後の手段として、会って食事をとも思ったが、それも諦めた。


何回やりとりしてもずっと敬語やし、


女紹介してっていってくるし、(20年会ってへんねんで?ガイジやん笑)


なにせ、1番決定的なんは、あんなおもろかったやつやのに、言うことなすこと全くおもろない。

田端しゅうきよりおもんないんちゃうん。

中学の時、田端しゅうきが理科の授業で「コマゴメピペット」のことを「こめかみピペット」って言ってた瞬間が人生で生きてきて1番おもんなこいつって思う瞬間やったけど、それと同じくらいおもんなかったわ。


小学校の時の思い出とか、ほんと大事にしたいタイプなんやけど、やっぱり今も友達でいてくれる人間が1番だと、本当に感じた。


当時の思い出は当時のまま。しっかり胸に刻んで現在の涼とは縁がなかったと思うことにする。


インスタ映えとかほんましょうもないわって思ってて、


なんか、スタバのアイス乗ったコーヒーをインスタにあげたり、結婚しましたーとか言って手のひら重ね合わせて指輪の写真あげたり、


これ誰が興味あんねん死ねやって思うこと多々あるけど


しっかり俺も涼を「利用」してインスタ映え(違う意味で)狙ってたわ。笑


かと言っても、当時の思い出というものはすごく綺麗なままで、これは一生涯色褪せることはない。


彼のおかげで小学校低学年の時は本当に楽しかった。


面白かったエピソードは色々あるが、1つ紹介しよう。


涼は、藤白台の府営住宅(団地)に住んでいた。その3階に住んでいて、その向かいに青木さんという推定70歳くらいのおばあちゃんが住んでいた。


ある日、涼の家でゲームをして遊んでいた。

涼の親は共働きで、その日は家に弟のけんしん(当時3歳)涼(当時小2)、そして俺(当時小2)

だった。


弟のけんしんも兄に似たのか、もしくはそれ以上にやんちゃだった。家の障子はビリビリに破れ、ベランダの窓ガラスも割られた部分をガムテープで補修されていたし、

毎日の壮絶な兄弟喧嘩のせいなのか、涼、けんしん共に顔は傷だらけであった。


そのヤンチャな3歳の弟と、あの藤白台の悪道渡辺涼を家に残し、働きに出る両親はなんてクレイジーなんだと本気で感じた。


案の定、涼とけんしんの喧嘩はすぐに始まった。喧嘩の理由は、けんしんが腰につけていた仮面ライダーの変身ベルトを涼が「ださい」といじったことが発端。


けんしんは泣きながら、レゴを投げつける。

それが、涼の額に直撃し、涼泣く。→キレてけんしんどつく。→ケンシン泣く。


まじで無限ループ。2時間で5回このくだりがあった。


やがてケンシンが泣き疲れ、眠った。


その後ゲームを一通りやった後、お腹すいたなみたいな話になって、古江台マーケットにある精肉店の唐揚げ(1個50円 ちなみに激ウマ)食べたいなってなった。


ただ、家に帰っておこずかいをもらえるかわからない。涼も、両親が不在の為おこずかいがもらえない。


どうする、、、となったときに涼が言った。


「青木さんにもらお!」と。


その瞬間俺は「青木さん」という人は誰なのかわからない。


涼は、ついてきて!と言って家を飛び出したかと思えば、向かいの家のインターホンを押した。


ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン


いや、何回鳴らすねん。

ポケモンで、ミュウツーモンスターボールで捕まえようとしたときにAボタン連打するくらいインターホン連打してた。


「はいはいはい」

とでてきたのは、優しそうなおばあちゃん。

これが青木さん。


すると涼が

「青木さん、500円ちょうだい。」と言い出した。


大谷翔平ばりのストレート投げるやんこいつ。わかりにくいか。


すると青木さんは

「ちょっとまってねー」と言って家に戻っていった。


いや、まさかな。くれるわけないやん。

500円なんてやばいやん。俺のおこずかいの5ヶ月分やん。絶対無理やろ。


と、思っていた。


青木さんがでてきた。

「はい。500円。これで遊んでおいで。」


まじか。となった。ちなみに青木さんと涼はもちろん赤の他人。ただのご近所さん。


涼の厚かましさと、青木さんの優しさが奇跡的に一致した瞬間。


次に涼が発した言葉で俺は言葉を失った。


「この子(俺)の分もちょうだい。」


絶句した。泣きたかった。今すぐ逃げ出したかった。


青木さんは、


「あらあら、ほんとやね。お友達もやね。」


と言って俺の手に500円を握らせた。


さすがに「僕はいいです。」と言った。

涼が、

「もろとったええねん!」と強く言った。

このメンタルの図太さはどこから来てるんや。


青木さんも「それで遊んでおいで。あげるから。」と、言ってる。


ありがたく頂戴したお金で古江台マーケットへ向かう。


ケンシンを家に残して……(その時ケンシンが家で1人寝ていることはすっかり忘れている)


小学2年生はアホなので、

古江台マーケットの精肉店で唐揚げを20個注文。青木さんからもらった合計1000円をすべて唐揚げにぶち込んだ。


見たこともない量の唐揚げを持って、近くの池のベンチで食べる。


青木さんのお金で買うからあげはうまいな!

と、涼が言う。


誰の金でも味は一緒なんやけども。


いつもは、食べても二個。今日は1人10個ある。4つ目くらいでいらんくなってくる。

からあげの油で胃がしんどくなってきた。


それは涼も同じで、「俺、もういらん!」

と、池に唐揚げを投げた。


なんか、人間の底辺を見た気がした。笑


次の瞬間、池に住んでいるブラックバスが浮いている唐揚げをものすごい勢いで食べた。


俺たち2人は、その光景をみて


すげええええええ


となった。こうなったらやることは1つ。池に残りの唐揚げを全て投げた。


青木さんの優しさ…


池は油だらけやし、環境破壊やし。


俺も青木さんの優しさとか全て忘れて、ただブラックバスが唐揚げを食べるそのインパクトに夢中になった。


唐揚げが全部なくなって家に帰ることに。


その道中に涼が青ざめた顔で言った


「ケンシン…ケンシンが家で1人やああああああああああ」


鍵もかけていない。


走って家へ帰った。家の中は、おもちゃで散らかっている。明らかに家を出る前より汚くなってる。


更にケンシンが家のどこを探してもいない。


外へでている。家周辺を探してもどこにもいない。


焦った涼は泣き出した。


めちゃくちゃ泣いてる。


青木さんに恐喝したり、そのお金でかった唐揚げを池に投げ捨てる涼はそこにはいない。


例え、毎日喧嘩してたとしてもたった1人の弟を愛する兄なのだ。


「お母さんに怒られルゥ〜えーんえーん」


あ、そっちね。笑



ちなみにその頃、ケンシンは青木さんの家であったかい緑茶を飲んでいるのであった。


発育が良すぎた為人気者になった男

人間とは、「コンプレックス」を隠しながら生きていく人間である。


例えば、国民的女優の新垣結衣だってお風呂に1年入らなければ絶対に臭いし、定期的に髪の毛を切らないと、毛量と長さが大変なことになり、いくら顔が可愛いとはいえ、見るに耐えない姿になるだろう。


臭くならない為に風呂に入るし、容姿を整えるために美容院に行く。不細工な顔のやつは、ごまかすために化粧をするし、胸の小さいやつは、ブラジャーにパットを入れて胸の大きさをごまかす。


人間は言わば、「ごまかし」の生き物。ごまかしあって生きている。


小4の夏。忘れられない出来事があった。


プールの授業だった。中学校高校になるとプールというものはだるいだげの行事で、サボることの多いものだが、当時は4年生。まだプールは楽しいという感覚しかない行事だった。


その日は、飛び込みクロールというのをやっていて、これは名前の通り、プールに飛び込んでそのままクロールを行うと言うもの。


何人か順番に飛び込んでいくのを後ろで待ってた。


俺の前には女子の「石川ゆり」という人物がいた。


この石川という人物は、言葉にしにくい。


一言で言えば「変わってた」。もっと悪い言い方したら「変なやつやった」。


女子なのに体格がめちゃくちゃガッチリしていて、学年1.2を争う高身長だった。


余談になるが、前回書いた「5人衆」のうちの1人 徳永ケンジの中3の時の誕生日に、c74という公園で遊んでいたら、急に石川が現れて、「はい、徳永!誕生日プレゼント!」と言って、封筒に入った現金20万円を渡して、ケンジが「おー、ありがと。帰ってええで」と言われて、「わかったぁ!」


と言ってチャリで全力立ち漕ぎして颯爽と去っていったことほんまに一生忘れられへん。


ツッコミ点は山ほどあるけど、何故中3で現金20万も手に入れられたのかとか、それを受け取ったケンジも「あーありがと」ってそんな平然なんとか、


色々あんねんけど、当時確実に思ってたのは「ケンジはこいつは絶対大物になるわ。」

と。いろんな意味で大物になってもうたがな。


石川がケンジに恋心を抱いていたのはほぼ間違いないと思っていいと思うが、何が彼女をそうさしたのか。当時の20万なんて社会人になった今で言うと200万くらいの価値はあると思う。俺がもし当時のケンジの立場なら一回くらい石川のこと抱いてやっても良かったんじゃないかと思う。いや、石川は流石に無理か。


話がずいぶん逸れてしまったが、石川はそんな感じで変なやつやった。


幸いなことに、このブログというのは小中の同級生の5〜6人しか見てないと思うから、だいたい石川のことは伝わっているかと思う。話を続けよう。


飛び込みクロールの順番を待っていて、前が石川。当時の石川のイメージは変なやつっていう印象がつく一歩手前くらい。

微妙に距離を開けているくらい。


そして石川の番に。


先生が「構えて!」と言う。


すると石川は飛び込みの体制に構える。この飛び込みの体制というのは、手を伸ばし、頭の上で手を重ね、三角形を作り、体は90°に曲げて体勢を作る。


その際に俺は見てしまった。


石川の脇にブラックホールができていることを。


脇毛である。


密に生えているその脇毛は、密度がありすぎて黒々しかった。まるでブラックホールのようでなにか吸い込まれてしまいそうなそんな感じだった。


あそこまで密度の濃い脇毛は、今現在に至るまであれ以上の物は見たことがない。


今となれば、小学生は女子の方が発育が早いという知識があるために当時の石川のあれは理解できるが、


小4の俺にそんな知識はない。


俺は絶句した。見てはいけないものを見てしまったような感じ。


率直に感じたことは気持ち悪い。ただそれだけ。石川の脇毛。ということがおおきかったのかもしれん。


ただ発育が早いとはいえ、今考えても小4であの量は発育早すぎてもう今頃生理終わってんちゃんって思う←ほんま失礼


その日の家の晩ご飯がちらし寿司やったんやけど、その上に乗ってる刻み海苔が、石川の脇毛に見えて食べられへんかった。


親が心配して「しんどいんか?」って言うてきたけど、


「その海苔が石川の脇毛に見えて気持ち悪くて食べられへん」なんて到底言えるわけもなく、「頭が痛い」という小生意気な理由でごまかしたのはちょっとした裏話。


2年後の小6でクラスに中島まさはることまぁー↓くんという男の子がいた。


プロ野球選手の田中将大はまぁー↑くん。


中島まさはるは、まぁー↓くんな。これ重要。以下、まーくん


まーくんは、クラスの人気者だった。


何故なら


ダンディー(髭が生えてるから)」だから。


まーくんもやっぱり発育が良くて、高身長ですね毛もしっかり生えていた。


勉強もできたし、足が長いため足も早かった。


みんなから髭が生えてるからという理由でまーくんからまー様にあだ名も変わっていた。


「まー様おはようございます今日もかっこいいですね!」とか、「まー様のように俺も髭はやしたいです」とか、みんなまーくんに敬語使ってた。


一方でまーくんはというと、ものすごく静かなタイプな子で、優しくて絶対人を傷つけないタイプの人間で


そんなことを言われたりしても


「俺、ほんまにかっこよくないって、、、」とか、「伊藤様のほうがかっこいいですよ」とか、上手くかわすような対応をしていた。


ある日クラスの新聞係が作った新聞の記事に


6-1かっこいい人選手権

という記事が出た。

その記事に書かれていたのは


6-1かっこいい人ランキング!

1位マー様17票

2位いおきょうすけ1票

いない20票でした!


と書いてあった。まじ八百長。笑

もちろんいない20票は女子だろう。

いおにかんしては俺。笑


まーくんは

「ほんまやめてや、、、」みたいなんじで顔真っ赤にしてた。俺は思った。


これいじめやん、、、って。笑


数日後の新聞にも

6-1流行語大賞


という記事で

1位に「まー様」ってなってた笑


人の名前が流行語ってもう意味わからん。笑


そして6年生最大のビッグイベント修学旅行。


俺はまーくんとは別の班で別の部屋で宿泊していたのだが、


俺たちの班である議題になった。


「まーくんのチン毛ってどないなってんねんやろうな。」って。


失礼な話、めちゃくちゃ気になった。


あんなに立派な髭蓄えてるから、さぞかし凄いことになってんねんやろうな


って。思い立ったらすぐ行動。


みんなが寝静まった夜中1時。まーくんの眠る部屋に忍び込み、まーくんを囲んだ。


その時にまーくんのお母さんの顔とか、まーくんの弟の顔とか浮かんだし、息子が楽しい修学旅行でチン毛確認されてんのどう言う気持ちなんやろとか思ったけど、もうまーくんのチン毛みたい衝動は抑えられへん。


「よし、いくぞ。」


まーくんのスボンとパンツを一気にずらすと衝撃の光景が広がっていた。


それを4文字で表せって言われたら


アマゾン。これ一択。密林。いや、熱帯雨林


ブロッコリー、いや、アフロ。スキマスイッチの歌ってない方の髪型。


これ火つけたら大変なことになるわ。

これはやばい。となった。


幸いにもまーくんは起きなかった。


それからと言うもの、俺はまーくんをまー様呼びをやめて神様と呼ぶようになった。


5人衆

俺は中学生になった。


小学校高学年から少しずつ芽生えてきた中2病が一気に加速するそんな時期に、俺はやたらと出会った。


俺が振り分けられたクラスは1年1組。


我が青山台中は、藤白台小学校、北千里小学校、青山台小学校の3校から生徒が集まる。


と言っても、藤白台小学校は4クラス、他の2校は1クラスだけだったので、ほぼ藤白台小学校の生徒が割合を占めていた。


1年1組に配属されたわけではあるが、ほぼ藤白台小学校の生徒で埋め尽くされており、クラスの半分以上の生徒は同じ小学校の人間であった。


中学生というものは溶け込むのが早く1、2ヶ月経つとみんな仲良くなっているものだ。


俺は「1-1 5人衆」と呼ばれるグループ的なものに属していた。

メンバー構成は

ケンジ・・・学校の外の名門サッカーチームでサッカーをやっており、スポーツ万能、勉強もできる(当時)、なおかつイケメンというチートキャラ。後に大不良に変身。


コウジロウ・・・バスケ部(のちにサッカー部へ転向)。こいつもイケメンでモテる。中1ながら洋楽しか聞かない。ナイフを持ち歩くなど、中2病にどっぷり片足を突っ込んでいた。


ヒサシ・・・バスケ部。当時も今もムッツリ。表には出さないが多分相当「エロ」に関してかなりの興味を持っていたと記憶している。


ユウゴ・・・サッカー部。5人衆の核弾頭。天然で天才。アホと天才は紙一重という言葉はこの男の為の言葉だと思っている。


この4人に俺を足した5人で5人衆と呼ばれていた。


なぜこの5人衆が出来上がったのか。

これを説明していきたいと思う。


入学から半年。その日は10月に行われる体育祭の出場競技を決める話し合いが行われていた。


体育委員の福井ひびきが教室の前でみんなに訴える。


「静かにしてください!これを決めないと帰れないですよ!」


「だまれナルシ!」「お前が全部出ろ!」

「なにお前が仕切ってんねん!」


などの誹謗中傷が福井に浴びせられた。


もちろん俺は率先して福井に暴言を浴びせてた。


「なにお前が仕切ってんねん」に関しては、この子が体育委員やから当然なんだけども。


青山台中学の体育祭には、大トリで「男子800mリレー」


というものが存在した。

1人×200mを走り4人でリレーするもの。


残すところ、このリレーに誰が出るのかみたいな話になった。


「誰か出てくれませんか!?」福井は訴える。


「お前が1人で800m走れや!」という俺。クラス大爆笑。


こんなので大爆笑になるのだから中学生というのは怖いものである。


結局、誰も立候補しないまま終わり、その日は終わった。


そのリレーの走者4人を決めるということが完全に頭から抜けた数日後のある日、


クラスに大きな紙が張り出された。


その紙には「体育祭出場競技表」と、書かれ、リレーの出場者も勝手に決められてた。

俺は目を疑った。


第1走・・・ケンジ

第2走・・・俺

第3走・・・森山

第4走(アンカー)・・・コウジロウ


走る順番まで勝手に決められていて、ケンジ、コウジロウ、俺の3人は福井の元へ走った。


「どういうことじゃコラァ!!!」

と。特に怒っていたのはコウジロウ。何故なら彼はものすごく足が遅い。そしてスタミナもない。200mを全力で走り続ける体力がないのだ。


首を絞められてる福井。

彼曰く、この4人にした理由は「ケンジと俺は足が速いから。森山はなんとなく。コウジロウはその日休んでたから。」


理由ガバガバ。百歩譲って3人はまぁわかる。「森山はなんとなく。」ガチでとばっちりもいいとこ。笑


確かにこいつも俺と同じ野球部で毎日きつい練習してるけど、絶望的に足が遅い。

このメンバー構成で勝てるわけがない。

恥さらしになるのは目に見えていた。

しかも何故1番遅いやつをアンカーにしたのか。


普通リレーは1番速いやつをアンカーにするもの。

常識的に考えればケンジがアンカー。

完全に福井は適当に決めやがった。


先生に「ほなもうでたるから順番とコウジロウだけ他のやつに変えて」と訴えるも、「もう変更は効かない」の一点張り。


「最下位になったらお前殺すからな」と福井を詰めた。


「いけるいける!」と福井。果たして彼の運命は。



当日。俺は密かに思っていた。「コウジロウ休め!」と。メンバー変更が効かないのであれば、欠場にして誰かを入れ込めばいい。


恥さらしはごめんだ。あんなにクラスでイキりまくってるのに結果としてリレー最下位だけは勘弁したい。


普通にコウジロウは登校してきた。俺は絶望した。


体育祭が始まる。

初めての中学での体育祭は楽しかった。

どのクラスも一歩も譲らぬ接戦で、残すところあと男子800mリレーとなった。

この時点で、4クラスの点差はわずかであり、この男子800mリレーの優勝したクラスが、総合優勝勝ち取れるような構図となっていた。


「頼むぞ!リレー!」とか「お前らにかかってる!」とかクラスメイトから檄が飛ぶ。


割と本気で勝ち目がない。「はぁ…」重い足取りでリレー位置につく。


ピストル音と共に、まず第1走のケンジが走り出した。

ケンジは学年トップクラスの足の速さだ。


他の3クラスも「ケンジが1走!?」ってなってる。まず他のクラスで1走目に速いやつを持ってくるクラスはない。何故なら1組は「適当に決めた」順番、走者なのだから。


ケンジは2位と50mくらい差をつけて、2走の俺へとバトンを渡した。


「2走伊藤かい!?1組つよ!」なんて声が聞こえてくる。いや、違うねん。例えるならば、お子様ランチでハンバーグ食うてそのあとデザートいくようなもんやねん。あと残ってるのはちょっとしかはいってないスパゲッティと、サラダやねん。


速いやつから先に出し惜しみせず出すっていうバカな作戦やねん。


俺は必死に走りながら後ろを振り返る。


4組のまきお君が見えた。ケンジがつけた50mの差を縮めるようなことはしてはならない。しかし、まきお君もなかなか速く、なかなかその差は伸びない。


「いや、まきおデブのくせに割と足速いのなんやねん、これ終わったら絶対あいつ殴る」


とか思いつつ、60m差くらいで3走森山へ。


必死に走る森山。顔まじガイコツ。

「走れー!モリシー!!!」

 

そう応援するけど、嫌でも走っとる。笑


そしてその何秒か後、4組のまきおくんがバトンを渡した相手は陸上部の宮崎。


絶句した。「ざっきょん4組やったんかい!しかもアンカーちゃうんかい!」


陸上部で学年で恐らく1番足の速い彼が3走とは、1組の適当采配とは真逆で「奇襲」というやつである。


必死に走る森山を猛追するざっきょん。


どんどんその差は縮まっていく。


40mくらい縮められただろうか。


アンカーコウジロウへ。走り出したコウジロウ。どう考えてもアンカーの走力じゃないし、なによりも絶望したのは靴。

わかるかな?バスケのなんかのモデルのオシャレーなやつ。ハイカット。俺リレーでハイカット履いて走るやつ初めてみたわ。


数秒後、4組のアンカーへとバトンが渡った。4組のアンカーは田中たかし。

マジか。たかしは同じ野球部で、野球部でもダントツの足の速さだ。インド人みたいな顔してるくせにめっちゃ足が速い。「カレー」と言うとキレる。

4組の3走がざっきょんなのはなんの奇襲でもなかった。ただ単に学年トップクラスの2人が揃った為、どちらかが3、4走になるだけ。


終わった。グングン追い上げるたかし。ゴールまで30m。もうこの時点で1組か4組かに優勝は限られている。


頑張れコウジロウ。ゴールまで30mのところでコウジロウは死にそうな顔して走ってる。足が遅い上にスタミナが絶望的にないのだ。


ゴール15mくらいだろうか。ついにたかしがコウジロウを射程圏内に捉えた。


俺は思った。「終わった…まぁ二位でも大健闘やろ。」


次の瞬間、コウジロウのかかとが、たかしの足と絡まり、たかし転倒。


コウジロウは何故か転ばず。そのままゴール。1組優勝。


喜びとか、達成感とか、この奇跡とかいろんな感情が芽生えたであろうこの瞬間。


そんな感情が芽生える前に大爆笑だった。完璧に足絡まってたのになんでコウジロウだけこけへんの!?って。笑


結果、1組は総合優勝。


リレーを勝手に走らされた4人のおかげである。


そのリレーの走者を勝手に決めた福井が得意げに「俺の選出まちがってなかったやろ?笑」と、言ってきた。全員でしばいた。普段大人しい森山も一緒にしばいてた。


体育祭終了後、

5人衆の1人田中ユウゴが嬉しそうに寄ってきた。


「今日から俺ら「5人衆」やな!」って。


「ん?どういうこと?」


と聞き返すと、


「体育祭、活躍したケンジ、セイジ、コウジロウ、ヒサシ。そして俺。5人で、5人衆!」


と言った。


確かにリレーに走ったケンジ、俺、コウジロウは大活躍扱いでいいと思う。


ユウゴとヒサシはムカデ競走に出場したのみで、しかも最下位。


「お前全く活躍してへんやないか!しかもヒサシも勝手に入れんなや!ガハハハハハハ」


話がものすごく長くなってしまったが、

これが「5人衆」の誕生秘話である。



体育祭から数日。5人衆は学校生活を共にすることが多くなった。


ある日好きな芸能人の話になった。

ケンジ・・・長澤まさみ

コウジロウ・・・名前忘れたけど海外の女優

ヒサシ・・・綾瀬はるか

俺・・・田中麗奈





ユウゴ・・・蒼井そら(AV女優)


爆笑した。本気で好きやったらしい。


中1とは難しい時期で、女性の体に興味を抱く時期なのだが、友達にもそれは言えないみたいな風潮なのだが、ユウゴが蒼井そらを激白してから5人衆のなにかが崩れた。


くしゃみするとき「ハックション!!」ではなく「セッッックス!!!」ってくしゃみしたり、


誰とヤリたいかみたいな話になったり、


みんなでケンジの家に泊まってオールでAVを見続ける会を2週1で行うなど、


体育祭の輝きから一転、ただの変態集団と化してしまった。


田中ユウゴのせいである。



最後に、俺はこの田中ユウゴは天才だと思っている。天然で笑いを誘う力もあるし、ウケを狙って笑いを生み出す力もある。


音楽の授業で「ドナドナ」という曲を1人ずつ歌うテストみたいなのがあって、


「ドナドナドーナ、ドーナー」と歌う部分を


ドナドナの曲調に乗せて


「千の夜を超えて〜今あなたに伝えたーいー」


って、アクアタイムズの千の夜を超えてを歌い続けた伝説を持つ。


先生も音楽止めないで最後まで聴いてた。笑腹よじれるかおもた。


2年くらい前、偶然ユウゴに会って、今好きな芸能人誰なん?

って聞いたら、

「明日香キララ!」って即答で帰ってきた。びっくりするくらいAV女優やった(笑)