修学旅行は感性が狂う
今日はちょっと短めに。
学生最大のイベント「修学旅行」。
生徒は何日も前から楽しみにしている学生最大のイベントだ。
現に自分も高一の時、学校やめようかと思っている時期があったのだが、修学旅行だけは行ってからやめようと思い、なんとか卒業することができた。
修学旅行とは、自らの意思で行く旅行と違い、団体行動、普段仲良くない人間とも打ち解ける本当に良い行事だと思う。
行動は縛られるし、先生が一晩中部屋を回って監視したりしているが、逆にそれが楽しかったりする。
俺は小中高専門で修学旅行というものに4回、行ったが、必ずその4回に共通するものは、「感性がぶっ壊れる」ということ。
そして、修学旅行でハイになり、気になっている異性に告白したり、公衆の面前で歌を歌うなど、普段やらないようなことを「修学旅行」の力でできてしまう、不思議な行事である。
このブログの数少ない読者も思い当たる節があるのではないだろうか?
今でも覚えてる。多分あれは修学旅行ではなかったけど、中2の林間学校で滋賀に行った時に、キャンプファイヤーしながらHYの「AM11:00」をうちわを振りながら歌っていたあなたたち。笑
当時俺は「これなんの時間、、、?」って思ってた。ごめん。笑
でも、これは「感性がぶっ壊れる」とかじゃなくて、「ハイ」になって、歌ってみようとか、誰々に告白してみよう
ってなるわけで、本当に「感性がぶっ壊れる」というのはまた別次元の話。
この「感性がぶっ壊れていたな」と思った瞬間を紹介していきたい。
まずは高2で行った沖縄。
当時仲良くしていたクラスメイトの米澤という男がいたのだが、普段こいつは「門限が6時」だった。
嘘のような話であるが本当なのである。
本当に放課後遊んでても5時50分には帰ってた。高2で門限6時。は?男で。女でも、は?やけど。
毎日しっかり守ってた。まじで。
確かにお母さんは声ガラガラでデブで←失礼
しばかれたら痛そう。もちろんバイトも出来ず。みたいなやつがいてんけど、
結果から言うと、沖縄3泊4日の修学旅行で「一睡」もしなかった。
オール×4。化け物である。
普段門限6時の反動めちゃくちゃきてるやん笑
俺、人間の三大欲求に勝つはじめて見たわ。
「感性ぶっ壊れてる」やん!
帰り、JR尼崎から岸辺に降りなあかんかったらしいけど、さすがに限界きて気付いた頃には京都駅(終点)にいたらしい。
そしてそっからまた電車乗って起きたら尼崎にいたらしい。
めっちゃ笑った。作り話やったとしてもおもろいわ。
というか、俺は4日寝てない姿まじでこの目で見てたからさすがにほんまの話や思うけど。
中学では俺の感性が壊れた。
お土産を買う時間にあるTシャツをお土産屋さんで見つけた。
残念ながらそのTシャツは捨ててしまったっぽく、お見せすることができないのだが、
当時の記憶を辿って書いてみた。
かなり再現できてると思う。
これを見て「これ、、、ほしい!!!」
我ながらなんでかほんまにわからん。
沖縄という土地、修学旅行、楽しい、いろんな要素が重なって「感性がぶっ壊れた」のであろう。
ヤンバルクイナが好きなわけでもないし、どうしてもその時にTシャツが必要やったわけでもない。
そしてなにが1番やばいかと言うと、
俺は大阪に帰ってからも
こ れ を し ば ら く 着 続 け て い た 。
しばらく感性がぶっ壊れたままだった。
ある日「なにこのTシャツ…?ダサすぎるだろ…」となって着るのはやめたのだが。
あのTシャツは大阪で売ってても絶対買わないだろう。修学旅行でなんども言うが、「感性がぶっ壊れた」としか言いようがない。
俺の星の数ほどある黒歴史のなかの1つだ。
そして最後は小学校で行った広島。
俺はこの修学旅行ではじめて授業中に「寝た。」
小4の時に森ユキヒコが授業中に寝て、鬼神・斎田先生にどやされていた現場を見た時から絶対授業では寝ないと決めていたが、この修学旅行の授業では、はじめて寝てしまった。
「修学旅行で授業、、、?」と思う人もいるかもしれないが、修学旅行では「被爆体験をしたおばあちゃん」が、演説をしてくれるという授業があり、小一時間それを聞くと言うものだった。
「寝ていい授業」と「寝てはいけない」授業ってあると思うけど、これは間違いなく「寝てはいけない」授業である。
これはこれは貴重なお話である。
もう、広島に原爆が落ちた時を体験した人はこの世に何人いるだろうか?
書きたくてももう二度と聞けないような貴重な話をしている間、俺は爆睡。
もちろん、寝ようとしたのではなく無意識に落ちてしまった。これは間違いなく、修学旅行というものにテンションが上がりすぎてハイになり、新幹線での移動中等さぞかし騒いだのであろう。
それが急に座って話を聞くなんてなれば、子守唄にしか聞こえなくなるのである。
まぁこれは余談である。
この修学旅行で、ある出店を見つけた。
その出店は
「名前を掘った指輪」を500円で売っていた。
「誰がこんなん買うねん…ターゲット層何歳やねん…」と、思っていたが
同じ班の細原ダイチが食いついた。
「俺…これ買うわ!!」と。
なにに惹かれたん。と心底思ったが「あ…そう。」としかいえなかった笑
この指輪の売人に「名前は?」と聞かれ「ダイチです!」
と言う。すると「5分待ってね」と言われて待つ。
中学時の俺のヤンバルクイナTシャツと違い、この指輪に関しては、広島関係ない。笑
「なんでダイチはこんなものほしいんや…」と考える俺。数年後あのヤンバルクイナTシャツを買うことになるのだが。
そして指輪が出来上がった。
小学生の俺でもわかるくらいちゃっちい指輪に「daichi」と、掘ってあった。
今でも疑問なのがなぜ大文字ではなく小文字なん。
そしてしばらく修学旅行を楽しんでいるとダイチが「この指輪いらんわ。」と言い出した。
…でしょうねぇ!!!
「捨てるわ。」といった瞬間、俺の悪知恵が働いた。
武田か、巻尾に売ろうや!!!と。
我が小学校では「ダイチ」という下の名前のやつが細原以外にも2人いた。
どっちにする?となった時に、
巻尾はかわなさそうやから武田にしよってなった笑
そして武田大ちゃんに話をすると、いいね!買うわ!と即決。
なんで…?なんで買うん…?笑
まさか売れる思わんやん。笑
感性ぶっ壊れてるやん…
しかも600円で売れた。100円儲けた。それで買ったもみじまんじゅう、ダイチと分けっこして食うたもみじまんじゅう、死ぬほどうまかったなぁ。いろんな意味で。